松濤會の空手道とは

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船越義珍先生(1868年~1957年)

松濤會は1935年(昭和10年)に発足しました。

空手道(唐手)は本来、沖縄固有の武術でありました。那覇において幼少期から安里安恒・糸洲安恒の両先生の下、空手の修行に励んでこられた船越義珍先生は日本全国に空手を普及させると云う熱い志を胸に1922年(大正11年5月)に上京され、以来斯道の普及に邁進され、後に上京された三男の義豪先生とともに、1935年に松濤會を結成し、1939年(昭和14年1月)には、豊島区目白雑司ヶ谷に本部道場として「松濤館」を創建されました。大学や職域、地域に沢山のサークルが結成されました。そうした中、当時の松濤館道場は、隆盛を極め、柔道の「講道館」、剣道の「有信館」と合わせ武道専門三道場として一世を風靡し、門人の空手技術研鑽の場であるだけでなく、義豪先生を中心にして空手技術の研究開発を進め、稽古体系の確立、大極の型・棍の型「松風」の考案をするなど、松濤會空手道の発展に多大なる功績を残されました。そして第二次世界大戦後には世界規模で空手人口が増え続け、現在に至ります。。

松濤會は武術としての空手道をひたすら追求、基本技・型・組手の稽古体系を堅持しております。試合競技は一切行いません!

一、空手道は、老若男女、体力に応じて無理なく稽古することができます。

一、空手道は、短い時間で多くの運動量をこなすことができ、左右の手足を均等に使用するバランスのとれた全身運動です。

一、空手道は、「空手に先手なし」の如く、自分自身と向き合うことが目的です。

 

(かた)を稽古する”

古来より伝わる型は、闘争の際に考えられる人体のあらゆる箇所を徹底駆使し、可能な限り工夫された動き、そして「受け技と攻撃技」を一動作とした組み合わせで構成されています。

松濤館では19の型を制定型とし、どなたでも無理なく稽古ができるように配慮しています。

型を習熟することにより、空手特有の左右対称なる強力な技を身に付けることが出来るようになります。この事は当然、体力に劣る女性や少年少女にとって有効な護身術となります。又その繰り返しで、全身の筋力と柔軟性を総合的に養い、主に体幹筋運動・有酸素運動であることから必然、美の体型も保持できます。空手道は「礼に始まり、礼に終わることを忘るな」の教えのごとく、守礼の武道です。空手の稽古は武道精神を身につけ、技と共に「勇気・礼節・克己」の美徳を磨くことです。

詳しくは松濤會ホームページをご覧ください

日本空手道松濤會公式WEBサイト

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